深夜

 頭痛で一日床に伏した。夜になってやっと収まったと思ったら、今度は寝過ぎて目が冴えて眠れなくなった。布団の上に座して頭を巡らせた。息が詰まったような現状のこと。暗くてよく見えないこれからのこと。しにたい、の気持ちの正体と、やる気の無い自分の機械的な分析。ふと外の風が恋しくて、静かに戸を開けた。
 冬の迫る季節、上着の前を固く閉めて空を見上げる。おのずといろいろな音が届いてくる。虫の声、車の遠く走る風、葉の身を寄せ合うささやき。吸気が肺を冷やす。頭もより醒める。
 ちらほらと明るい窓がある。丑三つ時であってもこの時代だ。起きている人はいる。さすがに出歩くのは僕だけだけれども……。しばらくして川に出る、黒い水がじゃぶじゃぶと流れている。海と違ってずっと浅い事を知っている。海と違ってずっと素っ気なく流れていく。その無関心さは、僕には心地よい。海は恐ろしい。夜の海は僕の眼前に死そのものとして立ち現れる。その偉大なる抱擁をもって万物を呑み込まんとするかのようで、しかしただそこにある。真っ黒な水。この川よりもっとずっと黒い。母なる海は、ヒトの本性そのもののように昏い。海そのものとしての冷たさと、すべてを迎え入れる温かさを併せ持つ。僕は夜の海が嫌いだ。
 公園は電灯に無機質な黄みがかった白で照らされる。暗い角には何かが潜んでいそうで、その実何もいない。ブランコに腰を下ろす。鎖はきいと鳴く。ゆりかごにも似た前後運動は、僕に心地よい静けさをもたらす。古い記憶、星のように瞬いて蘇る。夏の日に花火をもって公園に来た。羽化したての蝉の、翡翠の白を目の当たりにした。特別感動はしなかった。ただそこにある現実だからなのか。
 静かに戸を開けると、暗い部屋が出迎える。上着を掛けて、やかんで湯を沸かす。じっと、待つ。昔に演劇をやっていたことがある。なにかしらの訓練として、湯の沸くプロセスを頭でなぞった。コンロの音と、静かに水が湯に変わる時。微細な泡が生まれ、昇り、弾けて消える。少しうるさくなるくらいで火を止めて、コップに注ぐ。湯気が立ち上る。
 僕はラジオを付けた。